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​仏教用語・信行用語

​か行

開基(かいき)

 基を開くこと。弘通の基礎を築いた方や、寺院建立の基になった方を称して開基という。

回忌(かいき)

​ 故人にたいする年回回向の年次を意味し、一般に一周忌(丸一年周年)、三回忌(二周年)、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、三十七回忌、五十回忌の順に営まれる。

開眼(かいげん)

 新たに拝写された御本尊、刻まれた尊像を御宝前に安置し、導師が言上、御題目の口唱によって御魂を請じいれ、生身の仏、菩薩と同じくさせていただくこと。

開講(かいこう)

​ 開導日扇聖人が安政四年(一八五七)一月十二日、谷川浅七郎宅において本門佛立講を開かれたことをいう。

 

果報(かほう)

​ 因(原因)と縁(環境、二次的原因)によって生じる善悪の報いのこと。

寒修行・寒参詣(かんしゅぎょう・かんさんけい)

 毎年、宗内各寺院において、お祖師様のご苦労を偲んで行われる特別朝参詣。通常一月六日から一か月間行わる

勧請(かんじょう)

 勧請とは勧め請うの意で、御本尊内にまします諸仏、諸菩薩、諸天善神方が、いつまでも世に住し、我々を導きくださるよう乞い願うこと。

感応道交(かんのうどうきょう)

​ 感は思いの意で信者のご法に対する信心前のこと。応はこたえる、はたらく意でみ仏、御本尊様が信者の信心前に応じてはたらく力。道交とは御本尊の力とご信心の力がひとつに相交わることをいう。

祈願(きがん)

 祈願とは、文字どおり自分の願うところを叶えていただきたいと御宝前に祈り願うこと。

機根(きこん)

​ 仏の教えを聞いて理解し、教えに従って修行する能力のこと。末法の世に生れた我々は過去世に妙法の下種を受けたことのない身であるから、「未下種の機」、「本未有善の機」といい、「下根下機」とされる。

帰寂(きじゃく)

 信者の臨終を意味する語。寂光に帰る意。

逆縁(ぎゃくえん)

​ 順縁に対する語で、信心の縁にさからうこと。すなわち、御法や教えを素直に信じないで、反発すること、またそういう人。しかし、御法に逆らうことも御法とのご縁を結ぶきっかけとなり、いったんは苦しみの世界に堕ちても、やがてはこのご縁によってご信心ができるようになり、仏果を遂げることができるとされる。「毒鼓の縁」とも。末法はこの逆縁こそが正意とされる。

教化(きょうけ)

 「教導転化」の意で、人々を教え導き、正しい教えに帰依させること。
教化には「教え導き育て上げる」意味も含まれているので、当宗では宗外者を入信させることを教化と称しているが、本来は教務が信徒に法を説くことも、教化親が教化子を育成することも、親が子に法灯相続させるよう努力することもすべて広義の「教化」である。

教講(きょうこう)

​ 教務と講務のこと。当宗では僧侶の資格を有する人を教務と称し、在家の信徒を講務と称する。

教務(きょうむ)

 本門佛立宗では、出家得度した僧侶のことを「教務」あるいは「講師」と称します。ご信者は、親しみと尊敬を込めて「お教務さん」「お講師」と呼びます。

経力(きょうりき)

 妙法蓮華経の力のこと、すなわち御題目の御力のこと。

久遠本仏(くおんほんぶつ)

​ 法華経本門の教えを説かれるにあたり、まず如来寿量品第16において、仏様は聴衆に対しこう言いました。
「人々はこの私を王子の境遇を捨てて19歳で出家し、30歳で悟りを開いたブッダ(覚者)であると思っているであろうが、実は私の本体は遠い過去においてすでに成仏を果たし、永遠のいのちを具えた久遠本仏なのである」さらに続けて、「私はこの娑婆世界だけでなく、あらゆる時、あらゆる場所において、常に衆生を化導している。しかしその姿はこの久遠本仏ではなく、種々の仏に姿を変現して教導するのである」とも仰いました。
つまり、久遠本仏は遠い過去から現在、未来へと変わらず我々を見守り下さり、我々に法をお説きくださっている、また場所もこの娑婆世界だけではなく、他土においても同じように人々を教導されているということが、この如来寿量品第16において明かされたのです。

口業(くごう)

​ 身・口・意の三業の一つで口(言語)による善悪さまざまな行為(業)及びその影響力のこと。当宗では「口業正意」といって口による修行、すなわち御題目口唱を基本的な修行としている。

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